突撃インタビュー 第9弾

鈴木俊彦(大33・弓道部、伊藤[旧姓及川]宣生ゼミ)氏

【企画】
会報に広告掲載頂いた方々について、その宣伝も兼ねて人物紹介記事を名古屋支部ホームページに掲載させていただき、メルマガにて告知するこの企画。その第9弾として、ご自身の地元名古屋市港区で喫茶ベルのオーナーマスターとしてご活躍されている鈴木俊彦さんをご紹介する。
【訪問期日】
2023年5月31日(水)14時~16時
【インタビュー会場】
喫茶ベル(名古屋市港区秋葉)
突撃インタビュー第9弾 鈴木俊彦(大33)氏
【インタビュアー】
岸 泰志(大30・名古屋支部副幹事長)

鈴木さんの大学までの生い立ちを教えて下さい。
1961年、この喫茶店のあるところ(秋葉)に生まれる。一人っ子で育った。大学4年間を除けば、ずっとここで暮らしている。1968年より、父親が喫茶店を開業。開業時は、店舗と自宅が別々であった。道路拡張を機に、1985年に3階建ての店舗兼住居を建てた。

南陽小学校、南陽中学校へ通い、瑞陵高校へ行った。高校時代には、創部3年目の部員数30名程の弓道部に入部した。まだその頃は創部3年目ということもあり弓道部自体は強くなかったが、自身の自慢として高校2年の時、名古屋市の市民スポーツ祭で優勝した。その後1年の浪人生活を経て、1981年に滋賀大学経済学部経営学科へ入学した。

入学後は高校時代の流れを汲み、弓道部へ入部した。その当時は5~60名程の部員数が在籍しており、弓道部では3年生が幹部を担い、自身は主将を務めた。
大学の弓道部時代のことが社会人になって影響したことは何かありますか?
弓道という競技自体は個人技であるが、団体戦は個人プレーであり、チームを束ねる力がついたと思う。また主将として多くの部員を率いていただけに、決断力がついたと思う。それは社会人となっても活きている。また主将という立場上、多くの人の意見を聞く機会があり、そういう姿勢も知らず知らずのうちに身についたと思う。
大学卒業後はどのような人生を歩まれてこられたのですか?
1985年に滋賀大学を卒業し、大垣共立銀行へ就職した。20年ほど勤めたが、会社の求める方向と自分のやりたいことのギャップが生まれ、それがどうにも埋められなくなり、2006年に退職した。

本当は実家の喫茶店を継ぐのではなく、他の仕事を見つけたかった。2001年から父親は喫茶店家業を引退し、その後の喫茶店は妻が取り仕切っていた。父親が妻へ経営のバトンを渡す際には半年ほど休業し、従業員も入れ替えてリニューアルした。会社を辞めた後もなかなか仕事が見つからず、その合間、合間で店を手伝っていたこともあり、2006年にそのまま店へ転職することになった。その頃から陵水会活動にも参加するようになった。

銀行は(大垣共立の会社方針がそうだったように)サービス業、という認識をもっていた。よって、喫茶店へ仕事が移ってもサービス業からサービス業へ移っただけで、仕事の本質は変わらないという認識であった。どちらの仕事も、お客さんにどう満足してもらうかという点では同じと思う。喫茶店の業務内容自体は、父親のやり方を小さい頃から見てきたので大体わかっていた。わからないところは、自分なりに勉強して深堀をしていった。妻との分業としては、妻が表に立つ営業、自分はお金の面(経営面)を担うことになった。ここへ来て銀行時代に培った経営を見る目が、喫茶店経営に役立った。
突撃インタビュー第9弾 鈴木俊彦(大33)氏
大きな転機としては2011年に、妻と離婚した。今は一人。子供(男2人)はすでに独立している。それ以降は、一人で喫茶店を切り盛りしている。現在の従業員3名のうちの一人は、妻と一緒に喫茶店をやっていた人で、その人には大変助けられている。銀行を辞めて初めて、銀行の良さがわかった。また離婚して初めて、妻の有難味がわかった。
人生を振り返ってどのような人生でしたか?
紆余曲折の人生であったが、場面、場面で多くの人に差支えらえてきたと感じるようになった。自分としては、それをしっかり還元していきたい。喫茶店経営を始めて、銀行時代の営業する立場から営業される側になり、営業する人の気持ちがわかるようになった。店に来る営業マンには、その時にしっかりアドバイスするようになった。
これから社会へ出る滋賀大生へのメッセージをお願いします。
現在は大学のカリキュラムに学外との接点が含まれており、今の学生は恵まれていると思う。いろいろ経験をしてほしい。多くの人と接することが重要。それが後の自分の行動に生きる。自分の人生を振り返ると、そう思う。銀行時代20年かけてもらった名刺の数より、喫茶店を始めて5年間で入手した名刺数の方が多い。これはいろんな人と会っている証拠で、それが自分の人生に生きている。行こうか行くまいか迷うなら、行ってみることが重要。行っても、決して損はない。行けば必ず、得られるものがあるはず。
今後はどうされますか?会社をどうしたいですか?
70歳までは、この店をやっていきたい。それ以降のことは、それまでには目途を建てたい。喫茶店業には拘っていない。この喫茶店を使いたい人がいれば、店の譲渡も考える。自分としても他の事業も考えたい。今後も好きにやっていきたい。
突撃インタビュー第9弾 鈴木俊彦(大33)氏
突撃インタビュー第9弾 鈴木俊彦(大33)氏

鈴木さんへの突撃インタビューを終えて:岸の所感

■2011年東北の大震災の年に、鈴木さん自身にも家庭内震災が起こり、それ以降一人でご活躍されてきている。ただその鈴木さんを襲った個人的震災も、周りの人に助けられながら、店の繁栄を維持してきている。その背景には、子供の頃から見てきた父親の背中と銀行時代に培った経営ノウハウも、大きく寄与していると思う。今は一人生活ということだが、それを苦とは考えずエンジョイされており、これからも「とにかくまずは行ってみよう」の精神を貫きながら、人生一人旅を続けていかれるものと思う。

記:岸 泰志(大30)

■喫茶 ベル
名古屋市港区秋葉1-120
(国道302号南陽農協前交差点角)
TEL:052-301-5437

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