突撃インタビュー 第7弾

寺西基治(大31・水泳部、吉田貞夫ゼミ)氏

【企画】
会報に広告掲載頂いた方々について、その宣伝も兼ねてメルマガに順番に人物紹介記事を掲載する。その第7弾として、今も会社経営の最前線でご活躍されている株式会社山一ハガネ・代表取締役の寺西基治さんを紹介する。
【訪問期日】
2023年2月3日(金)12時30分~14時30分
【インタビュー会場】
株式会社山一ハガネ本社(名古屋市緑区)内事務所にて
突撃インタビュー第7弾 寺西基治(大31)氏
【インタビュアー】
岸 泰志(大30・名古屋支部副幹事長)

寺西さん、大学までの生い立ちを教えてください。
1960年生まれの63歳、生まれは名古屋市昭和区。3人の男兄弟の真ん中で育った。祖父が山一鋼商店を、1927年(昭和2年)に創業。会社は、今年で96年目を迎える。
小学校は地元の村雲小学校、中学校は円上中学校、高校は明和高校へ通った。小、中学校では水泳部に所属したが、バレーボールも少々やっていた。
明和高校の3年間は、剣道部に在籍。しごきがいやでさぼってばかりいたが、卒業後に「全日本剣道連盟 剣道三段」取得。また、ただ声が大きいというだけで、合唱部にもエキストラ参加していた。

1979年に晴れて、滋賀大学入学!高校の担任の先生は、浪人覚悟で名古屋大学を推薦したが、当時の会社の顧問税理士が彦根高商出身ということもあり、現役で行けそうなところということで滋賀大学を選んだ。入学時は水泳部の方々にお世話になり、その当時の新入生がそうであったように会った日からマンツーマン体制でアテンドされ、流れから結果として水泳部への入部となった。授業の選択にあたっては、新入生で何もわからなかったため先輩に言われるまま選んだが、結果多くの単位を落とすことになり、学生時代は4回生までしっかり授業へ出ることになった。(それが本来の学生のあるべき姿かもしれないが・・・)
水泳部時代のことが社会人になって影響したことは何かありますか?
水泳部では主将を務めた。当時は、総勢30名程の部員がいた。自分が主将の時に、ある大会で関西の国公立の総合大学の一角を抑えて3位入賞したことが良い思い出である。そこに至るまでは、皆で頑張ってきた。当時は、他大学が羨むほど部としてのまとまり、結束、チームワークがあった。

体育会の水泳部、それも主将ということが、就職時には有利に働いた。大手商社、都銀では内定直前まで行ったが、最初に内定をもらったのは日立金属。当時は先決主義ということで、就職はそこに決めた。
大学卒業後はどのような人生を歩まれてこられたのですか?
家業(山一ハガネ)は兄が継ぐものと思っていたので、1983年に日立金属で社会人スタートした。最初は島根県安来(やすぎ)工場に4年、その後アメリカ(デトロイト、ニューヨーク)に合計6年駐在し、東京本社に2年勤務した。その流れからして日立金属にそのまま勤務すると思われたが、兄が研究職の道を選定したため、弟である自分が家業を継ぐととになり、急遽人生の流れが変わり、1995年に家業(山一ハガネ)へ転職することとなった。

入社後は内部管理業務に携わったが、在庫管理一つをみてもその当時の多くの中小企業がそうであったように、どんぶり勘定であった。それを自分なりに経営を猛勉強して、一つ一つ整理、改善。今までの『ザ昭和の中小企業』にあって、「会社らしい制度作り」を実施、実現してきた。自分としてはこれまで、常に危機感をもって業務に取り組んできたつもりである。
人生を振り返ってどのような人生でしたか?
人生が終わった訳ではないので、自分としては過去は振り返らない。振り返っても今更過去は修正できないので、常に前を見ている。会社継続、存続のためには海外展開が必要と感じて、1997年以降、タイ、ベトナム、シンガポール、マレーシアへ進出して行った。
この海外展開には、自分の日立金属時代の駐在経験が生きている。海外展開の結果として、他社に先駆けた事業のグローバル化が実現し、外資との事業提携にもつながった。
これから社会へ出る滋賀大生へのメッセージをお願いします。
一つ目は、世界のどこでビジネスをやっていくにも、ぜひ英語力をつけて欲しい。特に、英会話をやって欲しい。今はやりの翻訳機は実用的ではあるが、実際のビジネスには対面でのコミュニケーションが重要。二つ目は、興味があることには何でもチャレンジして欲しい。三つ目は、多くのことを経験し、自分なりの価値観、物差しを持って欲しい。
今後はどうされますか?会社をどうしたいですか?
会社として生き残るには、世の中の流れに対応していくしかない。会社は、変化対応業。あくまで本業(特殊鋼ビジネス)を基盤に、そこから世の中に役立つ仕事を増やしていきたい。その結果が『フィギュアスケート用ブレード』『たき火台』であり、特にブレードは金メダリストを支えている。さらに、カーボンナノチューブを応用した表面処理技術や自社製品の素材、ソフトウエア、3Dプリンター、特殊塗装技術を用いたAM事業も立ち上がる。

自分が気にしていることは、社員がいかに楽しく働いてくれるかということ。そのためには、今の会社を魅力あるものにしていかなければならない。また、夢のある仕事をしないと将来にはつながらない。自分としては、会社(山一ハガネ)を通して、社員の幸せを実現し、社会、顧客に必要とされる事業を展開したい。幸い、それを理解してくれる社員が増えてきて喜ばしい。
突撃インタビュー第7弾 寺西基治(大31)氏
突撃インタビュー第7弾 寺西基治(大31)氏

寺西さんへの突撃インタビューを終えて:岸の所感

■とにかく元気があり、行動力もあり、常に前を向く姿勢には感銘した。といっても決してワンマン社長という訳ではなく、「社会の役に立つ」という創業来の意思を引き継いでいる。「社員の幸せなくして社業の発展なし」の信念を常に抱いているので、社員のことを第一に考えながらその主体性を尊重し、皆が楽しく働けて気兼ねなく物言える雰囲気を出せている。それだからこそ、『フィギュアスケート用ブレード』『たき火台』といった、従来の山一ハガネのイメージから脱却する製品の供給に繋がったものと思う。
『滋賀大生、やる気のある者集合!』という掛け声をかけたくなる会社であり、滋賀大からの有望な就職先の一つになることに期待したい。

突撃インタビュー第7弾 寺西基治(大31)氏
突撃インタビュー第7弾 寺西基治(大31)氏

記:岸 泰志(大30)

■株式会社山一ハガネ
http://yamaichi-hagane.jp/