城所真男(大33・バレー部、森(俊)ゼミ)氏
- 【企画】
- 会報に広告掲載頂いた方々について、その宣伝も兼ねてメルマガに順番に人物紹介記事を掲載する。その第8弾として、今も会社経営の最前線でご活躍されている重機商工株式会社・代表取締役の城所真男さんを紹介する。
- 【訪問期日】
- 2023年4月10日(月)18時45分~20時00分
- 【インタビュー会場】
- 重機商工株式会社(名古屋市千種区)内会議室にて
- 【インタビュアー】
- 久岡賢治(大66・名古屋支部副幹事長)
- 城所さん、大学までの生い立ちを教えてください。
- 1963年、愛知県豊橋市に生まれる。その後名古屋市に引っ越し、名古屋市立平針小学校に入学。9歳の時にみよし市(当時は、西加茂郡三好町)に引っ越し、三好中部小学校、三好中学校、岡崎高校を卒業した。
子供のころはボーイスカウトの活動に参加しており、中学2年時にはアメリカにホームステイも経験した。ホームステイの際に、カスケード山脈をバックパックしたことが大きな経験となった。そういった経験が、現在の会社経営においても、外国人と一緒に仕事をするうえでも活きている。
また、中学、高校ではバレーボール部に所属していた。 - 大学時代のことが社会人になって影響したことは何かありますか?
- 中学、高校とバレーボール部だったこともあり、大学でもバレーボール部に入部したが、寮生活も含めて仲間と共にしていたので、お互いの人間性の深いところまで知ることができた。
- 大学卒業後はどのような人生を歩まれてこられたのですか?
- 尊敬する体育会の先輩を頼って豊田通商(株)へ入社。鋼板2部で大手メーカー向けの鋼板の営業担当をしていたが、大企業の会社員は合わないと感じ、3年ほどで退職した。
退職後、父親が社長を務めていた重機商工(株)へ志願して入社した。重機商工は親族が創業したというわけではなく、父親が新聞広告を見て中途入社し、その後社長になったという経緯もあるため、父親は息子である自分に跡を継がせようとは考えていなかったようだ。重機商工では経理、人事などを一通り経験したのち、新規事業の立ち上げにチャレンジし、太陽光発電工事事業、空調事業を立ち上げた。
とにかく一生懸命働いていたが、30代の時に体調を崩したことがあり、それ以降は健康にも気を遣うようになった。50歳からトライアスロンを始めて、今ではフルマラソンも年間2~3回走っている。 - 人生を振り返ってどのような人生でしたか?
- 重機商工の社訓「成長無限、人格陶治」にある通り、人間死ぬまで自分を磨き、成長していくことをモットーに、自分らしく生きてきたと思う。
- これから社会へ出る滋賀大生へのメッセージをお願いします。
- ・まずは健康第一、体を動かすことで健康を保つことを大切にして欲しい。 ・短期的な損得だけで動くのではなく、長期的な目線で物事を考えるようにして欲しい。 ・人生のために、成長のために、目標を持って自分のペースでチャレンジして欲しい。 ・ 目標と情熱を持って働く中小企業の社長は、輝いて見える。中小企業の方が業務の裁量も広く、輝ける人もいると思うので、地元の中小企業にもぜひ目を向けてみて欲しい。
- 今後はどうされますか?会社をどうしたいですか?
- 70歳を過ぎたら仕事半分、トレーニング半分という感じで活動していきたい。80歳過ぎまでは、トライアスロンをやりたいと考えている。
今、社内では20代がDX推進プロジェクトに取り組んでおり、若手社員が活躍している。若いエネルギーがうまく機能する会社となるようにフォローしていくのが、先輩の役割だと考えている。一人ひとりが活き活きと働ける、月曜日に活き活きと働きに行ける会社を実現していきたい。
城所さんへの突撃インタビューを終えて:久岡の所感
■今回のインタビューは、重機商工(株)内の会議室で実施させていただきました。先輩の学生時代のお話も伺かうことができ、滋賀大学の歴史を改めて感じるとともに、経営者としての考え方も知ることができました。重機商工(株)社訓の「成長無限、人格陶治」のように私も、自分を磨き成長し続けていきたいと思います。
記:久岡賢治(大66)