第19回陵水亭懇話会

2019年11月23日(土)19時より、第19回陵水亭懇話会が開催されました。
会場の太閤本店伏見店には、22名が集いました。

【演題】『来る100年と次の100年に向けて―彦根高商の日々を知る―』
其の弐 「彦根高商の教育について」優秀なサラリーマンを養成するために学校が行ったこと

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感想寄稿

 「彦根高商の日々を知る」というテーマで今回は第2回。彦根高商の教育について「人格の養成」という、100年を経る今こそまさに求められている教育方針が、当時、そして第二次世界大戦の時代にも揺らぐことなく貫かれていたということがわかりました。
 開校からしばらくしてのち、彦根高商では1926年に「哲学概論」と「文化史」が必修科目となり、他の高商が選択科目であるのに比べて大きな特徴となりました。「人格至上主義」「人格の基礎を与える為に必要な学科目」ということが初代、2代目校長から語られ、「自国の歴史や文化、思想などの教養を身につける」ことが重要であるとされました。
 この「人格」の部分は、まさに今の滋賀大学経済学部へ引き継がれる「士魂商才」の「士魂」の部分と思われますが、「商才」についても「商業関係の学科目と雖も、単なる職業上の知識技能を与へるのみでなく、・・・人格陶冶を行ふと云うことに意を用いることは非常に重要」とされており、「人格の養成」という基本理念が教育全体に貫かれています。
 文科系科目より理科系科目が重要視されるような風潮、実学・実利優先、目先の成果や短期的利益の追及など、今の世はおかしな流れになっている部分があると思います。AIもIoTも使うのは人、人のためにある。そのためにも「人格」をしっかり鍛え上げることが重要である、今井講師のお話を聞いて、改めてそう思いました。

千喜良 博(大34)

レジメに沿ってまとめ

前回の振り返り

前回は彦根高商の始まりの様子をみた。
彦根高商の始まりは、その歴史の描き方によってどこにでも置くことができる。レジュメの表では彦根高商の始まりを1923年第1回入学式としているが、前回は、その始まりを、彦根に高商を誘致するために始まった運動においた。

・1919年~ 誘致運動 
238名による寄附金約44万円 ≒約2億2000万 
有力者だけではなく、彦根町民や女性などの地域の力によって始まった彦根高商

・こうした高商時代の文献や刊行物は、捨てるに捨てられない「古いモノ」として段ボールに入れられ、倉庫にただ置かれていたが、彦根高商の研究を進め、1つ1つ整理することで、それらは今、歴史資料として変わっているさなかにある。

高商時代の文献や刊行物
高商時代の文献や刊行物
高商時代の文献や刊行物2
(1)彦根高商創立座談会の議事録(2)陵水会が初めて出した会報。1926年発行で、まだ陵水会という名前がなかったため、発行社は彦根高商同窓会となっている。(3)陵水会館の設計図。下にボーリズ事務所、1937年と記されている。

こうした資料は、現在、経済経営研究所が保管。この研究所は彦根高商から続く組織で、研究所自身が高商時代から持つ資料や、陵水会にあった資料も保管している。しかしこの研究所は、来年度から大学にあるいくつかの組織と統合される予定。現在は心配ないが、将来もっと統合が進み人が入れ替わると、以前に元通りで、ただ置いてあるものだったり、最悪の場合は廃棄となる可能性がある。そうしたことを防ぐために、100年史発行や論文、記録は大切。できれば陵水会で資料を保存し、保存するだけではなく、展示などで活用していけると、ずっと残していけるのではないか。

教育をめぐって:本課過程

或る行進曲

右から学生帽をもっと集団が、彦根高商の講堂に入っていき、1年・2年・3年と講堂で過ごし、講堂を出ると、紳士服を来た集団になる。紳士服を着るということは、生徒がサラリーマンになるということを意味している。

生徒がサラリーマンとなるため、彦根高商がどのような教育をしていたのかが、今回のテーマ。特に、彦根高商のカリキュラムから、彦根高商独自の特徴を導き出してみる。

これまで、東京高商を模範、高商はどこも似たカリキュラムを展開していたといわれているが本当にそうなのか?
それは、おそらく、各高商が開校時のカリキュラムしか見られていなかったためで、高商が開校していた期間にわたってみてみると、それぞれの高商は、それぞれ異なる時期にカリキュラムを改訂し、他の高商にはない学科目を設定するなどしていた。

授業の様子

  • 彦根高商が開校した当時のカリキュラムを見ると(レジュメ参照)
    「1週間で開講された時間数が学科目ごとに示されている」「2学期制で、1年生の間は商業出身者と中学出身者で、時間数が異なる」「学科目をみると、商業の専門科目の他に、国語や数学、理化学などの普通科目もある」
  • 「表の学科目のほかに、選択科目制度があった」「選択科目は、3年生の各学期に2科目ずつ履修できた」「選択科目には哲学概論、文化史、商品実験、教育学、火災保険、鉄道論等が用意されていた」
  • 第2外国語は、英語、独逸語、仏蘭西語、支那語、露西亜語から選択することができた。生徒の選択を1928年の学校新聞からみると、独逸語が最も多く、中国語が他と比べて少ないことがわかる。
彦根高商の授業風景
高商時代の第2外国語
(1)独逸語(卒業アルバム)。(2)フランス語(卒業アルバム)。(3)現:ひこね市民活動センター、(2)と同じアングルより。

カリキュラムの改定

  • カリキュラムは、彦根高商が開校していた間に5回改定された。
    このうち、1937年度に改定内容をレジュメの表2から見ると、開講当時より科目が細分化され、時代に応じて、彦根高商は海外貿易や工業経営を意識した学科目を展開していった様子がわかる。
  • カリキュラムの表は、『学校一覧』という資料から抜粋。学校一覧は、戦前の教育機関が1年に1度、自分の学校の校則や生徒数、時間割等の基礎的情報をまとめて発行していたもの。彦根高商の学校一覧はすべて現在も滋賀大学に残っている(他校の学校一覧も併せて1400点も)。
  • 実際の時間割表(1942年度)が残っていた。教官の名前の名字に続けて、学科目名が書かれている。例えば、月曜日1限は吉田先生の商法。月~土曜日まで最長7限まであったことや、本科の3クラスと東亜科という4クラスの合同授業が多かったこともわかる。※この時間割表は、陵水会館から前回紹介した受験票と一緒に出てきたので、受験生に学校案内として配布されていたと思われる。
学校一覧
(1)学校一覧。(2)実際の時間割

彦根高商のカリキュラムの特徴

  • 他に11ある高商のカリキュラムと比較した結果。
    彦根高商は1926年度から必修科目として「哲学概論」と「文化史」を開講して以降、一貫して継続して必修科目としてそれら2つの学科目を開講していた。他の高商は、選択科目設定はあったが必修科目開講は1つもなかった。
  • 1942年度以降、各高商は戦時体制の影響でどの高商もほぼ同じカリキュラムを展開するようになるが、そうした中でも、彦根高商だけは哲学と文化史を開講していた。※その特徴は志望理由にもなったようで、『陵水60年史』という同窓会誌には昭和5年卒業の生徒が「教職にあった父は三、四の高商から学則を取り寄せ、彦根だけに『哲学』があることを発見し」、彦根高商の受験を希望したと綴っている。
  • なぜ彦根高商がその2科目を必修科目として展開したのか、、、その答えが直接記された資料は残っていない。

「哲学概論」と「文化史」を必修科目とした理由

資料が残っている彦根高商の初代校長と2代目校長の発言や著書から推察する。

  1. 校長の教育方針
    • 初代校長 中村健一郎(1923~1926)
      「人格至上主義」を展開し、「充分の人格を養成したい」
      (「彦根高商時報」第1号、1927年)
    • 2代目校長 矢野貫城(1927~1939)
      「商業人は人生観が高尚で、国家に対して奉仕する念が強く、つまり、人が出来て居らねばならず」、商業教育機関では「直接必要な学科目の他、人格の基礎を与へる為に必要な学科目を授けなければならぬ」
      (『新商業道徳』研究社、1942年)
      →人格の基礎を与える学科目とは、「人格を養成する科目として哲学、文化史などの教養」「自国の歴史や文化、思想などの教養を身につけることで、人格を高める必要がある」
      (「彦根高商学報」や『新商業道徳』)
  2. 教官や生徒からの声
    • 1925年 学制改革を要求
    • 1926年 石川興二教官(経済哲学者)が四綱領を発表
      「教育の意義と学制改革の四綱領に就て」『パンフレツト』第1号
      1. 偏職業教育主義に反して、人格教育又は文化教育を重ずること
      2. 西洋心酔に反して、日本精神及東洋精神の自覚自重に努むること
      3. 注入主義の教育に反して、能力主義の教育を重ずること
      4. 画一教育主義に反して、自由教育主義を出来得る限り取り容れること
    ★四綱領が、カリキュラムのどの学科目に反映されたのかまでは記録されていないが、校長の言葉を踏まえると、1条「人格教育又は文化教育」が、哲学と文化史の必修化につながったのではないかと推測できる。2条「日本精神及東洋精神」や3条「能力主義を重んずること」4条「自由教育主義を取り入れること」もカリキュラムに反映されたと考えらえるが、そこは今後検討したい。

  3. (彦根高商が人格養成を重視した)背景
    • 人格養成は、全国の高等教育機関での方針。ただし、彦根高商が先行。
      →「国家ハ大学及ビ専門学校ノ教育方針ヲ人物陶冶人格修養ニ置クコトニ決定シタルモ本校ハ夙ニ此ノ方針ヲ確立」(『彦根高商時報』第1号、1927年)
    • 国や生徒のため
      →「教養が低いために外国との貿易において国民に悪い影響を与えたことがあった」「商人は、教養に通じて居ることが極めて望ましいことであり、又思想豊富であつて外国文化の価値を見分ける識見があるといふことが必要」(『新商業道徳』)★生徒が良いサラリーマンになれるよう人格の養成に力を入れたことがわかる。
    • 地縁
      →彦根は「近江商人の揺籃の地であり、琵琶湖を望めば中江藤樹を、城山を望めば井伊直弼を偲ぶ地である」。彦根高商がこのような「人心ニ及ボス感化ハ蓋シ量ルベカラザル」場所に位置しているからこそ人格養成を重視する。(『彦根高商時報』第1号)★彦根という場所にいると、心が満たされるような感覚になるのは、今も昔も同じであったことがわかる。

「哲学概論」と「文化史」の内容

彦根高商が開講した哲学概論と文化史の内容は、年度をまたいでもほとんど変わらず基礎的な内容。彦根高商では、基礎的な内容が人格の養成になるという方針であったと考えられる。
このように、彦根高商は社会情勢や地縁を背景として人格養成に力を入れ、その一環としてカリキュラムに哲学や文化史を必修化する、しかも、ずっと継続するという特徴を持たせていた。

「哲学概論」(1930年度)
形而上学ノ概念/帰納法ト演繹法/唯心論・唯物論/一元論・多元論・因果論

「文化史」(1930年度)
古代ニ於ケル農業及土地制度/工業ノ勃興/市/荘園/座/外国貿易/商業資本主義/工業資本主義/金融資本主義

哲学や文化史の他に「特別講義」

彦根高商の人格養成は哲学や文化史だけに反映されたわけではなく、様々な教育活動の軸になっており、「特別講義」(学者や実業界での著名人を彦根高商に呼んで講演を行ってもらう)という学科目も開講していた。※特別講義は、他に2つの高商でも開講されていた。

陵水会には講演録が残っていた(新渡戸稲造、高田保馬)。彦根高商は著名人の講演を生徒に聞かせることも、生徒の人格を育てる1つと考えていた。※卒業生は2代目矢野校長について「人格と信念で商業道徳を説き新渡戸稲造等の話を聞かせた名校長」。(『陵水三十五年史』)

新渡戸稲造の講演録、高田保馬の講演録
(1)新渡戸稲造の講演録。(2)高田保馬の講演録。

商才に当たる教育をめぐっても

特別講義や哲学概論、文化史を通した人格養成は「士魂商才」の士魂にあたる部分の教育だといえるが、彦根高商では商才に当たる教育をめぐっても、人格養成を心がけていた可能性がある。

例えば、2代目校長の本には、「商業関係の学科目と雖も、単なる職業上の知識技能を与へるのみでなく、その中に立派な人生観が含まれてをり、それらの学科目の授業を通じても、人格陶冶を行ふと云ふことに意を用いることは非常に重要」であると記されている。
具体的には、簿記の練習をするにも、ただ記帳の仕方を教えるのではなく、正確さや几帳面さ、敏速や綺麗に仕上げるという能力を養ったり、商業地理では観察力や推理力、判断力を養う工夫をしなければならない。とあります。 彦根高商が授業中にそのような心構えを教えていたかははっきりしないが、手を動かす学科目にも、人格養成を意識した授業をしていたのではないか。

彦根高商が実施した、手を動かす学科目についての新聞記事が残っている。
  • 彦根の銀座などの商店で、高商生が「店頭装飾競技会」を行ったことを伝える新聞記事が残っている。写真には北川呉服店を反物で飾っている様子が写っている。
  • 全国にさきがけて彦根高商では、会社や百貨店を模擬経営する授業を行い始めたことが紹介されている。電気鉄道のターミナルにおける百貨店の設立を計画するなど、かなり具体的に設定を計画していることがわかる。
第19回陵水亭懇話会の新聞記事
(1)「店頭装飾競技会」の記事。(2)会社や百貨店を模擬経営する授業の記事。

手を動かしながらの授業のなかでも、サラリーマンとしての人格を彦根高商では養成していったのではないかと思われる。

むすびにかえて

今回は彦根高商の教育をめぐって、そのカリキュラムの特徴を中心の報告でした。先に使った「士魂商才」という言葉は滋賀大学経済学部の理念のなかで使われていて、その理念というのは、『彦根高商の建学の精神であった「士魂商才」を受け継ぐこと』。実は、彦根高商の建学の精神が「士魂商才」であると直接的に記された資料や、教育方針が「士魂商才」であると記された資料は残っていないことが、ある滋賀大学の先生から指摘されている。ただ、今回みたように彦根高商では、まさに「士魂商才」が培われていたといえる。前身校で培われた士魂商才を、今後も滋賀大学経済学部が引き継いでいけるように陵水会で支えていければと思う。

士魂商才が受け継がれているのか、それはなかなか目に見えないのでわかりづらいが、講堂のように今も滋賀大学では彦根高商から受け継いでいるものがわずかではあるが、存在している。

しかしその講堂も耐震工事が始まり・・高商時と今日を写真で比較すると、一見同じように見えても違いがある。それは講堂の周りに生えている木々で、今日の講堂では耐震工事のため、切られてしまった。この木々は100年の森と言われていて、本当に同じ木がずっと100年あったのかと言われるとよくわからないが、講堂の周りには昔から木々が生い茂っていたと思われる。

高商時代から続く講堂

どうしても変えなければならないものには、記録をし、その記録を残し、活用していくこと。変えてはいけないものには歴史を踏まえて発信することが、ゆくゆく、歴史のある大学や同窓会の強みになるはず。これまでの100年とこれからの100年に向け、発展のために何かお力添えいただければと思う。
(其の弐:完)

まとめ記:横井隆幸(大33)

次回の第20回陵水亭懇話会は、2020/01/25(土)です。
【演題】『来る100年と次の100年に向けて―彦根高商の日々を知る―』
其の参 「生徒の進路動向」生徒がどのような進路を歩み、どのような企業へ就職したのか。その特徴や私たちとの連なりをみていきたいと思います

※百周年へ向けてシリーズ化される予定ですが、どの回からご参加いただいても構いません。

※第20回陵水亭懇話会の申し込みページを見る

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